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ハワイでドライブ事始 No.7後編フリーE

『ハワイでドライブ事始 No.7(後編フリー旅行E)』

第9日目・1995(H7)年6月11日・日・晴
(6月11日)オアフ島ドライプ7日間…その5日目-後半

★「日本人が来なければハワイ経済は破産?」一日系人の日米経済危機楽観論

 先ず行き慣れたハイアット・リージェンシーに行き、一階西角に有るABCストアーで日経新聞を買う。買物を勧める中年の日系二世のオバチャンに話しかけられ、一頻り日米経済談義を交わした。
「日本人は利口だから、今度の為替危機もきっと巧く切り抜けるわよ。…第一このハワイにしても、日本人が来なくなったら絶対やっていけなくなるもの…」。
「そうかなあ、…だと良いけど。今度の日本の不景気は今までのと大分様子が違うので楽観はできないとの見方が日本では定説で、このままではジリ貧と誰もが心配しているよ」。
…そういった会話だった。
 私は買い求めた新聞を読むためホテルの中に入り、一階中央で滝や泉水があるポリネシアムード豊かな喫茶コーナーの椅子に座る。円高絶頂期とも思われた日米の為替相場は、出発後も大きな変動も無く推移しているようだ。このため到着後の主な支払いは可能な限りカード払いとし急なドル高に備えてきた米ドルだが、帰国まで現金払い第一に切り替える事とした。
 先ほどから始まっていた舞台のショーが、聞き覚えのある日本の作曲家の曲目に変わった。私はビデオカメラでこれを撮り始めた。ここにも涼しげな滝の水の帯を背景に、美しい脚線美を見せ、表情豊かにリズムを楽しむ若い日本人女性の姿が傍にあった。
 画面に雰囲気を添えるには絶好だと、その足先をレンズで追う。またその足先で餌を啄ばむ鳩も追った。やがて音楽が急に賑やかなハワイアンとなり、舞台に美しくポリネシアン風に着飾った美女が登場してフラダンスが始まった。そう言えば今回の旅では、ハワイらしいフラシーンを未だ撮ってなかったと更にこれを追う。…私一人だけの楽しいワイキキの時間が、こうしてユッタリと流れていった。
 フト我に返ると、時間はもう5時近かった。私は席を立ってローヤルハワイアンSCへ向かった。もう一つワイキキにある美しい人工滝を撮影しておこうと思ったからである。それはカラカウア通りに面して道行く人々に涼風を送るかのような趣きが感じられた。
 高みから勢い良く流れ下った滝の水が、下に広がる泉水に渦巻き広がろうとする間近の岩に立って、投槍を振りかざし岸に溢れる水に泳ぐ鮭の群れを仕留めようとする、半裸の若者をモチーフとした造形だった。水の流れを巧みに利用した一種のモビールと言ったほうが、より正確かもしれない。
 更に私は近くにあるウールワース百貨店も覗いてみた。地上2階分だけの店舗だが、全米ネットを持つ由緒ある百貨店だけに、店内のレイアウトも凝っていて楽しい。また陳列品も豊富さを感じさせ、他店では未だ見かけない商品も数多かった。例えば、文字通り自身の言葉をオウム返しにする鸚鵡の玩具が人足を止めていた。孫達に買って帰りたい衝動に駆られたが、ここは我慢のしどころ。以後永く続くかもしれない年金生活を考え、二重の土産は避けた。

★日本人だけを相手にする両替店「MONYX」等の存在に注目

 また私の目を引いたのは、ウールワースを出てクヒオ通りに向かおうとする直ぐ裏向かい辺りに、2店見かけた日本人だけを相手とする両替店「MONYX」ほかの存在だった。看板によれば「政府公認・手数料なし・銀行よりずっとお得 !」と言った大きな文字が、これ見よがしに書いてある。また更に細かい文字で詳しく「銀行および免税店より安いレートで日本円⇔ドルの両替をいたします.余ったドルは日本で両替されるより、帰国前に当社で円に両替されたほうが絶対お得です。両替に対する手数料は一切ございません。トラベラーズチェックの現金化もいたします…」といった宣伝文句も書かれていた。
 あれは2年前の5月、ドルが銀行間の国際決済相場で110円を割った時の事であった。当地ABCストアーの日系二世達が「遠からず百円割れは必至」と言いながら、ドル払いより円払いを歓迎していたものだ。しかしその時、当地の銀行で実際に両替してみた顧客売りの円=ドルレートが何と120円90銭。ホテルに表示されたレートだと124円台であったので驚いた。日本の銀行だと、現金両替で出国時が1ドル=112円、帰国時が1ドル=108円程度だった時の事であった。
 このため腹が立って、「ハワイの銀行や企業は国際相場をあまりに無視して儲け過ぎている。海外旅行時のドルの売買は日本で…。現地での買物はカードが有利?」と新聞に投書したところ、各方面から多大の反響を得た。
 ともあれ、ハワイでの銀行両替は日本人旅行者にとって余りに割が悪い。これは他の米地域でも同様なことがあるらしく、先日送られてきたLSCの機関紙『ロングステイライフ(’95/7)』で、CITYBANK青沼部長の次のような記事が目に付いた。
「…最近サイパンの銀行から《日本人は円を持ってくるから困る》という電話があった。現地の銀行では、日本の札を木箱に詰めて保険を掛けて日本銀行に送り、日銀が数え終えた後でサイパンの銀行口座に対応するドルが振り込まれ、初めて自分の銀行のものとなるからである。従って高いコミッションを付けなければ割りが合わず、為替レートが80円だとすると10円くらいはコミッションを取る必要がある。銀行も外国の通貨は欲しくない。欲しくないから手数料も高い。現金は旅行者にとって一番損になる…。」
と、まあそういった内容だった。
 現地の銀行が全て現金買いした円札をこういう方法でドルに換金しているとするなら、ハワイやサイパンの銀行における両替レートも成る程と頷かされた訳である。…が、しかし必ずしも同様な処理方法だけではないのではと疑わせたのが、前述のような看板を掲げる店も現に存在するという事実である。
 これは実際に看板どおりか試してみたいもの…。そう思った私だったが、生憎とドル現金は僅かしか持ち合わせず、「一両日中に必ず両替してもらいに来るから…と、説明してくれた「MONYX」の窓口係に言い置いて宿に戻る。

**参考事項*****************************************************************

★支出経費明細(6月11日)

*アラモアナSC(食品雑貨代金≒$35)…………………………………………………3080円
*ABCストアー(食品代金≒$10)………………………………………………………≒880円

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第10日目・1995(H7)年6月12日・月・晴
(6月12日)オアフ島ドライプ7日間…その6日目-前半

★バスで下調べした島一周路線を辿り、まず《ワイメア・フォールズ・パーク》へ

 幸の体調も何とか回復したようだったので、今日はノースショア海岸から山間に入ったところにある整備された観光地、ワイメア・フォールズ・パークを目指す事にした。コースの殆どが先日バスで巡った道や、此れに沿った高速道路なので、まず迷うことはなかろうと選んだ候補地だった。
 遅い朝食を済ませ、10時過ぎに宿を出発した。アラワイ運河西端から少し北寄りにあるスタンドで給油ののち、H1経由で先ずホノルル空港に立ち寄った。半時間の道程だった。帰国が明後14日の早朝に迫ったので、中華航空の受付でリコンファームの手続きをするために立ち寄った訳だが、ついでに車返却のリターンルートを確かめ、チェックインの予行演習を試みた。また、帰国の朝の慌しさを考えて、できれば空港近くに宿を移そうかと探してみたが、どこも今の宿の倍近い値段であったため諦めた。
 11時半、再びH1に戻って西進。パールシティーから、あのワイケレ・センターへの買物で道を間違えたH2へと進んで、一路北西へと向かう。途中でH2は終わり、一般国道である83号線と合流していた。過日、バスのため立ち寄れなかった「ドール・パイナップル・センター」に立ち寄って無料のパインジュースで喉を潤した。ちょうど正午に同センターを発ち、更に北西進を開始する。ここから白波打ち寄せるノースショアまでは約半時間だった。鄙びたハレイワの商店街を抜け、車は美しい海岸沿いに北東へと向かう。

★名物の滝壺ダイビング以上に、多彩な植物群が見事だったワイメア渓谷観光

 12時50分、車の前方にワイメア渓谷への右折標識を確認して川沿いを山手に入ると、約5分で切符売場のあるゲートに到着した。入場料は2人分で税込み41ドル50セントだった。園内入口にあるレストランでハンバーガーと紅茶を頼む。チリソースがピリリと効いて結構いけた昼食を済ませてから、渓谷沿いに滝まで行くトラムカーに乗る。まだ発車まで間があるらしかったので、車輛から降りて南国風の池の周りを散歩してみた。
 水面に密生する緑の蓮の葉の上で、清楚な薄紫色した蓮の花が二つ三つと目に染みるような美しさで陽に輝いていた。ここには多種多様な珍しい植物が移植されていて、アチラコチラにその名前を指し示す標識があった。池畔に半ば朽ち果てて立つ巨木の樹幹から、緑滴るように垂れ下がる宿り木には、「TAILLANDSIA LINDENII」と書かれていた。タイ国原産なのだろうか…。そう言えば、先年プーケット島へ旅した時にも同じような宿り木を目にしたような気がした。
 乗客が満員になるのを待っていた列車は、13時50分近くになり上流へ向かう。小学生くらいの子供達を連れた家族で一杯だった。既に小学校は学期末休暇に入ったらしい。向き合って座った親子連れ5人の父親が、子供達の母親の嬉しそうな姿を盛んにビデオカメラで撮影していた。この夫婦もビデオが趣味のようで、私のツインレンズのカメラを見せてくれと頼まれた。ファインダーを覗かせ、2画面合成の操作をして見せると、ここでも「ベリー・グッド」と話が弾んで、メーカーや価格を尋ねられる。
 沿道は珍しい草木が一杯で、色とりどりの草花に鳥達が群がり、見飽きない景色が続いた。所々に椰子の葉で葺いた原住民の集落らしい家や遺跡らしい場所も見え、売店や民俗資料の展示場もある様子だった。また渓谷一帯が植物園になっているらしく、此処彼処で水を弾くスプリンクラーが音を立て、草木の手入れをする人々の姿が見られた。しかし谷間の水は殆ど涸れていて、水不足を窺わせていた。
 列車は樹林の中を進み、約15分で終点に着いた。滝は直ぐ先の橋を渡りはじめると左側に望遠された。水涸れのせいかもしれないが、思ったより水量が少ない。それでも滝壺は割りに広く、大勢が水浴びしていた。またその滝壺の右手前には、数百人は座れそうな観覧席が設けられていて、既に7割方埋まっていた。
 やがて滝壺の前に、いかにも「コカコーラとポップコーンが大~好き…」と、そのプロポーションが物語るようなグッと太目のハワイ美人が現れ、前口上を述べて木鐸で合図の音を轟かせると、呼び物の「飛び込みショー」が始まった。
 演ずるのは白人と黒人の男性カップル。最初は滝右手の高さ7~8メートルの所からの飛び込みだったが、次第に高みへ高みへと飛び込み場所を移して、様々なスタイルでのダイビングを披露してくれた。夜はホノルルからディナー付きの観光ツアーが組まれていて、松明を持ってのダイビングや、フラダンスのショーが見られるそうである
 ショーが終わったら、思い出に滝壺で泳ごうかと水着を用意してきたのだが、幸に年寄りの冷や水と引き止められてしまった。止む無く足だけ水に浸して我慢することにしたが、意外に生暖かい水で、滝の清涼感には程遠いものだった。
 滝壺での水遊びに時間を取り、一列車遅れで渓谷を下る。中間にハワイアン・コテージを中心とした広場があり、ここでフラダンスの実演や指導が行われていたので下車してみたが、既にショーは終幕に近く、お目当ての撮影はロクに出来ぬまま、次の列車で渓谷美を見下ろしながら出口に向かった。

第10日目・1995(H7)年6月12日・月・晴
(6月12日)オアフ島ドライプ7日間…その6日目-後半

★バス待ちで泣かされた東海岸の道をレンタカーで快走、ホノルルへ戻る

 15時50分、ワイメア・フォールズ・パークをあとにして、再び83号線に出る。暫らく進むと、カフク岬方面へ向かう山側路線が珍しく長い渋滞となっていてノロノロ運転を余儀なくされた。まだラッシュ時には少し間があるので、何故だろうと思いながら進むと、前方に黄色いエマージェンシーカーが何台か止っていて、凄まじい正面衝突の事故現場に出遭わせた。このための一方通行規制だったので、ここからは逆に海側車線の渋滞が長く続いていた。幸に急いでビデオカメラを構えさせたがアッと言う間に通り過ぎてしまい、事故の惨状は殆ど写っていなかった。
 バスだとここで52番が55番の標識に変わる、あのタートル・ベイ・ヒルトン所在のカフク岬を過ぎ、車は東海岸に向かう。カフクの町の手前右手に高さ10メートル程もある長髪に髭長のポリネシア原人像が立っていたので、何だろうと車を止めてみた。「maui pohaku loa」の標識があった。何かマウイ島の民芸品でも扱うドライブインでもあろうか…。
 一休みして、16時頃に同じ83号線を車は風の強い海岸線沿いに南へ向かう。前を、水着姿の土地の若い男女数人を乗せた小型トラックが行く。その中に黄色いビーチウエアーを羽織り、妙に後姿が気になるブロンド美人が乗っていた。その若々しく美しい長髪が風にパッと翻る度に、何か色香が伝わってくるような艶かしさを感じ、私は暫し歳を忘れてハンドルを握り締めていた。だが、そのトラックは間もなく見えた浜辺に吸い込まれていって、ハッと正気に戻る。もし、前に回って見れたなら意外や意外のダブルハット美人であったかも…と一人苦笑しながら、もう一度ハンドルを握り直したものだった。
 カフクの町並みを通り過ぎると幸に、先日バスの車窓風景で撮り漏らした砂糖黍工場跡に、カメラを向けさせながら南下を始める。あのバス待ちでイライラさせられたポリネシア文化センターが車窓に遠ざかると、次第に風光明媚な東海岸の風景が展開し始め、カネオヘに近付くほどに「キレイ ! キレイ!」と感歎の声が増え続ける。
 走り続けて約1時間。カネオヘまであと一息といった地点で、入り江に注ぐ静かな河口があった。そこに架かる橋を渡りきった広場で一休みしてビデオカメラにその風景を収める。カハルウ辺りらしい。やがて17時だった。

★迷い迷って漸く辿り着いたホノルル一の展望台「タンタラスの丘」夕景

 少し行くとカネオヘの街には入らず、直接パリ・ハイウエーへ抜ける道があったので、海岸沿いの道を離れ右へ進路を取った。急峻な山々を見ながら、風の名所ヌアヌ・パリ下のトンネルを抜けるとホノルルの市街地が見えてきた。H1を越す手前を左折し、17時15分、ホノルルの展望台として有名な《タンタラスの丘》を目指す。
 しかし登山道への道が容易に見つからず、途中、スーパーで用足ししたりして1時間以上も右往左往したので、目的地に着いたのは既に18時45分だった。
 そこには夕景を観賞しようと先着した車が既に数台停まっていた。ここからの展望は文字どうり180度の大パノラマだった。左端には、新興住宅街が山懐から山麓へと広がっていた。此れに続き大規模な施設が点在するのはハワイ大学らしい。その向こうに少し遠くダイヤモンドヘッドが、水平線近くを南に向かって泳ぐ大魚にも似て斜陽の中に褐色の姿を見せていた。その右手から西へ長く伸びるワイキキの高層ビル群が、ちょうど高く低く背伸びして妍を競い合う巨人の群れのように並ぶ。またアラワイ運河から手前は比較的低層の建物が多く、H1を境に商業地から住宅地へと姿を変え、眼下の山裾の緑の中に吸い込まれる様子が、ちょうどグラデーションを見るようだった。視野に入る右端は、ワイキキとアラモアナの境をなすアラワイ運河の河口辺りだろうか…。そうした美しい風景が端から端まで切れ目なく一望の下に見てとれた。
 もう日没近い。人々は未だ去りがたしと暮れなずむのを今か今かと待っていた。中には暮れる間ももどかしいらしく、これ見よがしに抱き合って動かない恋人達もいて、私たち無粋者は目の置場所に迷いながら車に戻り、途中のスーパーで買い求めてきたテイクアウト食品を摘み時の過ぎるのを待った。
 程なく空の色が次第に黄ばみ、更に赤みを増して行くにつれ、眼下の街々に黄金の砂を撒き散らすようにパラパラと灯が灯り始めた。やがて目の前に豪華絢爛たるホノルルの夜景が展開するだろう…。しかしこの山道は暗く、最近犯罪が多くなっていると聞いていたので、名残を惜しみつつ薄墨に包まれはじめたタンタラスの丘を下った。
 こうして宿に帰りついたのが丁度20時。ドアを開けて部屋に入ると、誰も居ない部屋の中から「只今から午後8時をお知らせします。ピッピッピッポン」と若い女性の声…。いや、これはテレビを消し忘れた訳ではない。出掛けに私が防犯用にセットしておいた「発声式の翻訳機兼世界時計」の時報だった。
 ビールを冷蔵庫から取り出して一杯やりながら今日の支出をチェック。明日アラモアナSCの郵便局に行き、船便で不急品を自宅へ別送しておこうと資料類等の選別を始めた。その殆どは旅の間に無料で貰ったPR誌紙や詳しいドライブマップなどだったが、私にとっては現地でなければ入手できない貴重な資料だ。やっとのことで荷造りし終えると中型の段ボール箱一杯となり、重さも10kg以上は間違いなく有るだろうと思われた。
 そんな訳で就寝は十時過ぎとなったが、此れで大分身軽になれると満足だった。

**参考事項*****************************************************************

★支出経費明細(6月12日)
*アラワイ運河沿いGS給油代(≒15$)……………………………………………≒1320円
*ワイメア渓谷植物園入場料(41$54¢)…………………………………………… 3656円
*ワイメア渓谷植物園昼食代(≒15$)…………………………………………… ≒1320円
*タンタラスの丘手前SC夕食弁当代他(≒20$)………………………………… ≒1760円

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